LID誕生の瞬間
平日の午後別府テルマス温泉で湯浴みし2階休憩室に上がったときテーブルの上にポツンとあるものに目が行きました。
それは文字盤に特徴のあるフランクミューラーの高級腕時計だと直ぐに気づきました。
「忘れ物?帰りに渡そう」そう思い温泉の余韻とコーヒー牛乳をぼんやりと楽しんでいました。
そして家に帰りタオルを脱衣所に出すとき腕時計をフロントにお渡しすることを忘れていることに気づきました…忘れ物を渡すのを忘れる…という失態
しかし今更返しに行くと、なぜすぐに渡さなかったのか問いただされるのではないか?
そう思うとふと昔のことが蘇りました
「あの時の私なら100%この時計をくすねている…」
時代はバブルに突入する頃でしたが、父の事業は倒産…
わずか数千円の高校受験料を叔父から借りる程貧乏のどん底で、昼夜問わず借金取りが来ていました。
恥ずかしくて情けなくて自分では解決することが出来ない歯痒さや悔しさからか生活は荒れていき、時には50人を超える暴走族の先頭を走るようになっていきました。
あの頃の自分のなら間違いなくくすねていました。


しかしその後私は、日航というホテルに就職するこことなったのですが、その場の損得ではなく、一人のゲストを満足させるためにとことんサービスを追求したり、連日数十万円するワインが開けられたりと、今までの生活とはかけ離れた日常と、考え方がそこにはありました。
カルチャーショックの連続でした。
「ゲスト最優先、ゲストはいつも正しい」
「採算を度外視してでもゲストを満足させる」
この教えが自分本位の考えを変えるきっかけになり
その後の人生をも大きく変えるものとなりました。
そしてある日「訪日外国人の忘れ物が多く宿泊施設の業務がひっ迫している」というニュースを見て、
人生の方向を変えるきっかけとなった宿泊業界の役に立つのではないか?…という思いが浮かんできました。
宿泊施設は通常業務プラスの対応が必要になる。国際配送となると郵便システムや言葉の壁でさらに手間がかかる。
多忙になると気持ちはあっても雑になる、
いやならざるを負えない…
私は小規模ながら輸出入の事業を行っておりましたので、
海外配送に関しての知識とノウハウ、ホテルでの勤務経験がある。
そして別府には100ヵ国以上の外国人が住んいでいて、明治の頃より外国人をもてなすホスピタリティと応援する文化がある。これらを繋げばやれるのではないか…
国内の温泉地のライバルとして、西の別府、東の草津と比べられることがありますが、草津温泉が災害により客足が落ちたとき「今は別府に行くより草津に行こうとぜ」と別府市がエールの広告行い、多くの共感を呼ぶこととなり草津、別府、両温泉に行きたいと興味を持つ事となりました。

温泉街ならではの「自分ゴト」としてとらえる応援する文化と根付いたホスピタリティ、みんなの力を少しずつ借りて忘れ物海外配送を行なおう!
そう決めた瞬間でした。