事業設立の背景  ~Lost Item Delivery誕生の瞬間~ のつづき

時代はバブルに突入する頃でしたが、父の事業は倒産…
わずか数千円の高校受験料を叔父から借りる程貧乏のどん底で、
昼夜問わず借金取りが来ていました。

恥ずかしくて情けなくて自分では解決することが出来ない歯痒さや
悔しさからか生活は荒れていき、
時には50人を超える暴走族の先頭を走るようになっていきました。

あの頃の自分のなら間違いなくくすねていました。

bake1
bake2

しかしその後私は、日航というホテルに就職するこことなったのですが、
その場の損得ではなく、一人のゲストを満足させるためにとことん
サービスを追求したり、数十万円するワインが連日開けられたりと、
今までの生活とはかけ離れた考え方と、日常がそこにはあり、
カルチャーショックの連続でした。
自分本位の考え方から方向を変えるものとなったのは宿泊業界でした。
(地下ブティックのゲイオーナーに食事に誘われるなんてこともありました)

当時の記憶とその時々の経験や感情が重なりました

「忘れた人は不安じゃないだろうか」
「ショックじゃないだろうか…」
「従業員の人は隅々まで探しているのではないか…」

そんな思いが一瞬で頭をめぐり40分程かかる温泉にまた車を走らせました。

 

それから数年後「訪日外国人の忘れ物が多く宿泊施設の業務がひっ迫している」
というニュースを見てその時の出来事が思い出されました。

そして人生の方向を変えるものとなった宿泊業界の役に立つのではないか?…
という思いも浮かんできました。


小規模ながら輸出入の事業を行っておりましたので
海外配送に関しての知識はありました。

宿泊施設は通常業務プラスの対応が必要になる。
国際配送となると郵便システムや言葉の壁でさらに手間がかかる。
多忙になると気持ちはあっても雑になる、
いやならざるを負えない…

私にはホテルでの勤務経験と海外配送のノウハウがある。
別府は留学生も多く100ヵ国以上の外国人が住んいでる。
そして明治の頃より外国人をもてなすホスピタリティがあり
温泉街ならではの「自分ゴト」としてとらえる文化がある。

ここでなら言語の壁も何とかできる。
みんなの力を少しずつ借りて国際忘れ物配送を行なおう!
そう決めた瞬間でした。

このように誕生した弊社は
「忘れ物をしたゲストの安心したいと させたい宿泊施設様」をつなぐサービスです。

元ホテルマンがホスピタリティの歴史ある街 別府より忘れ物をお届けいたします。

PS
誕生はしたものの開店1か月でコロナが襲いました。
その後どのようにしてサービスが発展していったかは
また改めてご紹介させてください。

package1
sannin
haikei3